プランサーバー物語 高気密・高断熱への挑戦

実験住宅をつくる

会社設立から数年後、会社は順調に売り上げを伸ばし、事務所が手狭になってきました。

新しい事務所をつくろう、これを実験住宅にしよう。

幸いにも、よい土地が見つかり、地主さんと交渉しました。

できた家は事務所として借りるから、ということで好きにつくらせてもらうことになりました。

平成2年、沼隈の地におそらく広島県で初めてだろうと思われる高気密・高断熱住宅を計画したのです。

暖かくなることはわかっていても、どの程度の性能かは想像すらできなかったので、経年変化で隙間ができないように、含水比15%以下の大断面構造用集成材を使ったアーチ型木造3階建て住宅に、今まで知り得た知識を全部つぎ込みました。

床下FFストーブによる床下暖房。

熱交換器換気システムによるエネルギーの回収、ペアーガラスとシングルガラスの違い実験。

遮熱ペアーガラスと真空ガラスも後にはめてみました。

天窓による夏場の熱の排出。

初めてのべーパーバリアー(防湿気密シート)には、「壁の中が蒸れる!」と大工さんたちは大反対。

水道屋さん、電気屋さんは平気で破りました。

屋根からの輻射防止の特殊防水塗料はペンキ屋さんのお勧めでしたが、結果は確認できない。

開口部断熱のためのワーロンを使った木製障子は効果があり、真冬でもダウンドラフトが感じられなくなりました。

後で知ったのですが、ボード気密の手法をすでに取り入れていたのです。

当時は気密のためのテーピングを誰も理解しませんでした。

そんな面倒なことを何でするのだ、と反対だらけ。

大工さんにしてもらえなかったので、大工の息子と一緒に貼りました。

外壁に軽量コンクリートのパワーボードを使いましたが、ボード屋さんには外壁通気層の意味を理解してもらえずにモメました。

現在では通気層は当たり前でも、当時は異端であったのです。

大工さんはご丁寧にも、外壁が貼りやすいようにと通気層をつぶしてしまいました。

ここでもモメにモメてやっとのことで通気層をつくってもらいました。

基礎断熱には通気が悪く、家が腐るだけだと非難だらけでした。

ダウンドラフトを床下に逃がそうとつくったスリットにもゴミが落ちる、と猛反対を受けました。

実験住宅だからいいんです、とすべて押し切らせてもらいました。

今思えば世間の常識との戦いだったように思います。

予算は大幅に超過しましたが、できる限りのことを試みました。

暖房設備は床下に置いた3800キロカロリーのFFストーブ。

床暖房の代わりにと小さめのストーブにしましたが、それで全室暖房ができるとは思ってもいませんでした。

エアコンは家庭用の6畳用エアコン2台と、8畳用エアコン2台を1階と2階に付けました。

3階は物置のため冷暖房設備は無しにした。

70坪以上ある空間の冷暖房設備です。

当時は気密テストでC値を測ることも、Q値を計算する方法も知らず、Q値やC値といった言葉すら知らなかったのです。

たまに建築雑誌に載る細々とした情報と経験、それと勘だけが頼りでつくった実験住宅です。

クーラー屋さんに言われました。

「絶対に冷えませんよ。責任はもてません!」

勧められたエアコンは店舗用の動力電気で動く大型の機械。

自信はありましたが、心配でした。

しかしその時は、ダメなら後で増設するから、と押し切った。

そんな心配をよそに、結果は意外なものでした。

1~2階は通常8畳用エアコン2台で84畳の冷房が効き、冬はFFストーブ1台で家中が春のように暖かくなったのです。

予想以上の断熱効果に驚きました!

20度に設定した温度が、夕方に暖房を切っても翌朝仕事を始めるときまで18度に保たれていたのです。

大雪の後、わが事務所の屋根の雪だけは、いつまでも融けなかった。

これは室内の熱が屋根から逃げていない証拠だったのです。

すぐ側を走る産業道路の車の音も、室内には聞こえませんでした。

予想以上の出来に驚きの連続でしたが、予想外の弊害もたくさんありました。

暖かい地域には寒冷地用の「樹脂サッシ」は無く、北海道から特別に取り寄せる必要がありました。

これが思いのほか高額だったのです。

普通のサッシでも大丈夫だろうと考えたのが間違いの元で、アルミサッシは猛烈に結露を起こし、シングルサッシのところはそれ以上に結露しました。

しかたなく内側に障子を付けました。

厨房の換気扇からは空気が逆流しました。

これは気密が良く、隙間が無いため、使わないときの換気扇が吸気孔になってしまったためです。

高気密住宅用換気扇なんぞ思いつきもしなかったのです。

その上アルミダクトで冷やされた室内の暖かい空気が結露して、雨漏りのように流れ出してきました。

実験住宅でよかった、と冷や汗モノでした。

夜中になっても室温が下がらないため、結露が集中したのです。

大は小を兼ねる、と設置した熱交換器は大きすぎていつもスロー運転でよかった。

当時は計画換気の基準もありませんでした。

床下暖房で無垢のフローリングは隙間だらけになったり、と数年の使用で多くの問題点があぶりだされる結果となりましたが、職人さんやベテラン建築士さんたちの心配したことは何の問題もなく、むしろ思いつかなかった細々とした問題がたくさん見つかりました。

もちろん現在ではすべて解決できることばかりです。

最高に快適な生活ができることは、この実験住宅で体感できました。

今まで反対してきた人たちも口を閉ざしました。

ただ、「高コスト」であることが解決できない大問題だったのです。

この事務所は現在学習塾として使われています。

20年近くも前の建物ですが、この地域では今でも高性能住宅だと自負しています。

そうするうちに一定の技術と経験が蓄積され、高気密住宅と言える自信がつき、これを売りにしようと世間に発表しました。

しかし、つくらせてくださるお施主様がいない。

ならば建売住宅でつくって見せようと計画しました。

ローコスト化が課題でした。

不動産屋仲間の意見は「そんなものつくっても高いだけで売れない!」「壁の中なんぞ最低限につくり、見えるところを豪華にしろ。お客なんて見えるところと値段しかわからないんだから。」

もっとひどい意見もありました。

「良心を捨てなきゃ、売れる家なんかつくれない」当時土地と家とで3千万円以下が建売住宅の鉄則でした。

できた家は4千万円を超える高額な住宅。

「絶対に売れない!」と言われました。

平成4年の秋に完成し、初めて公言した高気密・高断熱住宅、つくりには自信がありましたが売れるかどうかは神頼みです。

実際に折り込み広告を出すとたくさんの人が見に来られましたが、売れなかった。

当時は高気密・高断熱住宅といっても、一部の専門家にしか通じない言葉でした。

年が変わり、平成5年1月5日、仕事始めの日。

社員一同で近くの草戸稲荷神社にお参りしました。

雪のちらつく寒い日に「どうぞ建売が売れますように!」と手を合せました。

会社に帰り着くとすぐに電話がかかってきました。

偶然なのか、神様のおかげなのか「建売住宅を見せて欲しい」とお客様からの電話でした。

その日の夕方、先方の仕事が終わってから住宅をお見せする約束をしました。

小雪がちらつくほど寒い日の夕暮れ時、玄関を開けると電気もエアコンも全て切ってあるその家は昼間の陽射しを取り込んでいたのか、ホンワカと暖かかったのです。

お客様もビックリしておられましたが、私の高気密住宅の話を素直に聞いていただけました。

そしてその家はすぐに売れたのです!

このときが「高気密・高断熱住宅をつくること」は私に与えられた天命ではないかと思った瞬間です。

一隅を照らす者になれ!と神の声が聞こえたような気がしました。

快適な高気密住宅を、この備後の地に広めるのは私の使命である、と心に誓いました。

私の残りの人生を賭けよう!

初期のころ、わが社で高気密住宅を建てられた方は高気密住宅に詳しい方々だけでした。

自 分で勉強された一級建築士さん、たくさんの新築住宅を見てこられたクーラー屋さん、日本の木造建築(神社・仏閣)が好きでカナダから日本に留学し定住され た方、その家の暖かさに感動された水道屋さん、わが社の内装工事で違いを理解されたクロス屋さん、その家に法事に行かれたお坊さん、某ハウスメーカーにお 勤めだった方、たくさんの家に行かれたガス屋さん、某建設会社の社長さん、そしてその方たちの意見を聞き、わが社を信頼してくださった方々。

最近ではインターネットで勉強された方々も建ててくださるようになりましたが、実際に住まわれた方々の「暖かい、快適だ」の声だけが支えの孤立無援、試行錯誤の連続でした。

現在では「そんなものこの辺りでは暖かいからいらない」と言っていたハウスメーカーですら競って高気密住宅をつくりはじめました。

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