健康・快適・高耐久な住宅をめざして!
ここに書かれているのは私の思いです。
しばらくの間お付き合いください。
建築との出会い
私と建築の出会いは小学校に入る前、たぶん4~5才のころです。
母方の祖父が大工の棟梁でした。
子ども心にも、無口で頑固な怖いおじいさん。
その現場でチョロチョロ遊んでいたら、材木の切れ端で積木をつくってくれたのです。
それが嬉しかったのを今でも覚えています。
カンナくずがシュルシュルと出てくるのが不思議で、木の匂いが大好きな少年期・・・小さいときは大工になるのが夢でした。
ところが高校生のとき、石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」を観て、これぞ男の仕事、トンネルを掘るぞ!とうっかり大学は土木工学を選んでしまいました。
そして大学生時代、下宿先の隣の部屋の友人が建築学を専攻していたのですが、なぜか土木の勉強より友人の建築設計の課題を手伝っているほうが楽しかったことを記憶しています。
そんなある日、友人の部屋で見た建築雑誌の写真に衝撃を受けました。
それは建築を目指す者なら誰でも知っている フランク・ロイド・ライト の「落水荘」の写真でした。
なんてすごい住宅なんだ!と背中がゾクゾクして身震いしました。
「シマッタ!建築をすればよかった!」と悔やんでみてもすでに大学は後半期、これが2回目の建築との出会いです。
それでも土木工学を選んだため、お決まりのゼネコンに就職をし、護岸工事や道路工事に明け暮れる毎日でした。
仕事はそれなりに楽しかったのですが、何か充たされない日々・・・
思い起こすのは、ライトの落水荘と、友人を手伝った建築設計の楽しさばかり。
あっちの現場、こっちの現場と転勤の連続、そろそろ腰を落ち着けなければと最後に就職したのが生まれ故郷の千年(チトセ)のちいさな建設会社。
そこで転機が来ました。
その会社が倒産したのです。
チャンスだ!もう迷うな!サァ始めろ!と、大いなる力が背中を蹴飛ばしてくれたような思いでした。
まわりは「するなら土木だ、住宅づくりなんぞ始めたら貧乏するだけだ、やめろ」の忠告これを振り切ってのスタートです。
同僚だった建築士たちを誘って、設計事務所なら資本が少なくてもなんとかなるだろうと始めた会社が「有限会社 プランサーバー・チトセ」です。
ここからがわが建築との出会い第3幕、私が36歳のときです。
始めてすぐにわかったことがあります。
当時は「カタチある物」にはお金を払ってもらえるが、設計のように目に見えない「知識」とかはタダでできると思われていることでした。
それに自分たちで施工しなければ良い家は難しいと感じました。
すぐに方針変更です。
施工もする、形あるものづくりの工務店に変身です。
工事を始めると、幸せなことにお客様にはかわいがられて意外と受注も順調に伸びました。
そんなある日、北海道の人に「こちらの家は寒い!」と言われたことがなぜか心に残りました。
「北海道より寒い家・・・?そんなバカな!」何が原因か見当もつきませんでした。
もしかしたら壁の断熱の違いでは?
そんな思いから、ベテラン大工に「土壁じゃぁあったこう(暖かく)ならんのでは?」と聞くと「ヤッパー(やっぱり)土壁がええ」と言う。
建築士に聞いても「昔から使われとる土壁がええ、グラスウールはヘチャゲて(つぶれて)壁の中でずり落ちる。」
実際にハウスメーカーのつくった家を改造すると、真っ黒くカビだらけになった断熱材がずり落ちているのをよく見かけました。